父親が厳格で窮屈な子供時代を過ごしたわたしにとって中学生のとき出会ったThe Clashはまさに地獄に仏だった。歌詞に感情移入して自分の窮屈な生活を慰めていた。大人のくせにこんなに中学生の気持ちがわかるなんてすごいなあ、と感心してた。しかし一方で、醒めた中学生だったわたしは、メディアに見せている姿と実際の姿には解離があるものだと、落胆しないための防御線を忘れなかった。どちらにしても是非とも会ってみたいと思った。中3の冬、彼らの最初で最後の日本公演があった。しらみつぶしに都内のこれと思うホテルにつたない英語で偽外人になって電話をいれ、とうとう宿泊先を洗い出した。当時はまだフロントも英語が十分に話せず外人に手を焼いた頃だった。両親には横浜に本を買いに行くといって、新宿のそのホテルに向かった。昼頃に着いてすぐ、幸運なことに以前彼らのvideoのなかでローディーをやってた黒人に遭遇した

。彼に話しかけたら笑顔で、昼食中のJoe Strummerのところに連れて行ってやるといわれた。昼食中のJoeはイメージ通りの男気のある人で、稚拙な英語を真面目に聞いていろいろ意見交換をしてくれた。本当に生真面目な人だった。英語はこのために勉強させられているのだと知った瞬間だった。彼らが公演に出かける頃には中学生が沢山押し寄せてホテルは一種のパニック状態だった。Joeはわたしに「みんな並んでくれたら全員サインしてあげるから、そういってあげてくれ」と頼んだ。実際彼らは興行の人間に歯向かって全員に律儀にサインをした。そしてわたしに丁寧に「手伝ってくれてありがとう」といって握手とハグをしてから公演に向かった。そこにいた沢山の中高生の羨望の声を聞いたときの快感は忘れ得ない。英語を勉強するのが快楽になったのはそれからだ。相変わらず教科書には興味がなかった。The Clashの歌詞、社会的背景、NMEのインタビューばかり読み漁り、そして、今のわたしになったのだ。Joeが死んだのはショックだった。彼が死ぬ前に一度、再会して彼が私に与えた影響と今まで何が得られたかについて話したかった。彼はもっとそういうことを知るべきだった。ただのロックバンドの忘れられたおやじでなかったと教えてあげたかった。もう二度と話すことができなくなったなんて人生は悲しい。