東京丸の内TOKIA2FでCotton Clubのエントランス手前にあって
気になっていた
「Bar de Espana Muy」.
Barといっても東京だから庶民的からはほど遠く、
とってもスタイリッシュ。
予約をとろうとしたら予約枠はいっぱいで空きがないとのことだったが、
実際行ってみればカウンター席も個室も空いていて、
どちらでも入れる状態だった。
お高いこといって、すかしてんなーというかんじ。
ただし個室の居心地は最高。
接客も実はそんなに悪くなく、
ちゃんとこまめに顔を出しに来るので心配なし。
ただ目端は利かないようで、皿の替えなどに気は廻らない。
タパスやピンチョスがちょぼちょぼ、
料理の種類は多く、どれもおいしそうで選ぶのが楽しい。
味はどれもおいしく、量も少なすぎないので
東京でこの価格設定は適正だと感じた。
うまく選べば、そこらの居酒屋で飲むのと同じぐらいの価格で
おいしく満腹になれ、楽しい時間が過ごせる。
ハムの盛り合わせや目玉料理が高価なので少人数では苦しいが、
大人数でいけばさぞや楽しいことだろう。
東京駅に向いている窓からは
もちろんしょぼいガード下の店々が眼下に広がりすごく東京らしい。

皮付き豚のローストスライス

穴子のアヒージョ
授業もそこそこに映画を観たり、音楽聴くのに
血道をあげてた大学生のとき。
いつものように階段教室の一番後ろに陣取って
出席とられるのを待つ間、
隣の学生と最近観た面白い映画の情報交換してて
教えてもらった
「神経衰弱ぎりぎりの女たち」。
早速授業を尻目にロードショー観にいって、ぶっとんだ。
今でこそ、その後のアルモドバル作品を知ってしまうと
まだ荒削りで特に秀でた作品と思えないだろうが、
はじめて出会うアルモドバルの世界は魅惑的であった。
ヨーロッパ(特にスペイン)の色彩、マドリッドという街、
熱く一本気なキャラクター、アバンギャルドなプロット、
荒唐無稽ながらなぜか筋道を感じさせてしまうストーリー。
人生の力強さ、いろいろな側面を清濁合わせて
ごった煮で見せてくれるところが気に入った。
この1989年はアルモドバル作品が初めて本邦公開された年で
立て続けにこれと
「マタドール」、
「バチ当たり修道院の最期」が公開され
まさにアルモドバルに最初からどっぷりつかる羽目になった。
アントニオ・バンデラスがむさくて、田舎くさくて気持ち悪くて、
監督の愛玩に反して好きになれず、大嫌いだったなあ。
「バチ当たり修道院の最期」のロードショーは、
とりたてて親しくない女の同級生が
なぜか渋谷の映画館までついてきて一緒に観る羽目になった。
終わってから「なにこれ?」といって
勝手にぷんぷん怒っていたのを思い出す。
わたしは大満足だったのに。
日本に比べてカトリック国であるスペインのほうが
聖職者に対する幻想が少なく、より現実的だと思った。
神は崇めても、人は崇めない。とてもシンプル。
「マタドール」はビデオで観た。
闘牛士学校でsexの最中に殺人をして快楽を得るサディストが
実は男女それぞれ居て、最終的に彼らが出会って殺しあって昇天、という話。
ちなみにレンタルビデオ屋でエロコーナーにあって失笑した。
後半、大嫌いなバンデラスが突然超能力野郎になったとこから
台無しになりかかるが、それでもこの作品のおかしさは消えない。
それから公開されたのは1990年の
「欲望の法則」。
これは青山でみた。今でもこれは最高だったと思う。
(バンデラスの役をもっといい男がやってくれてればなお最高!)
いつもながらはじめから設定がふるってる。
アルモドバルに慣れるとそれが普通に思えて、
その上で偏見なく映画自体を楽しむようになる。
だけど、これも映画館から降りる階段で怒ってる女性が沢山居たなあ。
淫猥な感じにとる人が怒っちゃうのかな。
そんなに不向きなら見なきゃいいのにと思う。
双方にとって不幸なことだ。
この頃、まだ観てなかったのが
「グロリアの憂鬱」。
アルモドバル映画未体験だった妹がこれをレンタルビデオで借りて観て、
「おねえちゃんが面白い監督だと言ってたから」観たのにといって、
ぶりぶり怒って電話してきたのを思い出す。
怒り狂ってストーリーや場面を
こんなに馬鹿馬鹿しいとこき下ろしながら説明するのだが、
それが聞けば聞くほど、私には魅力的にしか聞こえず、嬉しくなって
「それ最高。すっごく面白そうじゃん。」と答えて、さらに不興を買った。
ちなみに彼女は殺人の証拠がトカゲだったり、
凶器が骨付きハムだったりすることからして馬鹿馬鹿しいっていってたな。
子供をいとも簡単に歯医者にあげちゃったり、
凶器が料理されてなくなっちゃったり、
突っ込みどころの多い映画で相当面白いんだけど。
その後の1991年
「アタメ」からは単館上映でなくなり、
TVコマーシャルまで流されるようになり、
1994年
「キカ」でかなりメジャーな扱いになった。
プログラムに余計なことがかかれたり、
芸能人などの感想がのるようになって反吐がでた。
大体、マドンナがバンデラスに求愛してたのがこの頃で、
そのマドンナの「In Bed with Madonna」が1991年の作品だ。
(これ、いまだに観てないけど。
その後、ハリウッド進出したバンデラスが目に見えて垢抜けたのにも驚いた。)
それでも毎回、ほんの少しであっても
それなりに何かしら大好きになれる部分を提供してくれるアルモドバルの映画。
嫌いになれない。
メジャーになっても、相変わらずの
アルモドバルの映画らしさが垣間見える瞬間がある。
それにしても1-2年に1本の割りで新作が公開されるのを
こうして17年も楽しみにしてきたんだなあ。
最新の公開作は昨年の「バッドエデュケーション」。
さすがスペイン語界で旬のガエル・ガルシア・ベルナル使ってます。
ゲイの目は節穴じゃないな。
Pedro Almodovar (Official site)

ガエル・ガルシア・ベルナルがでてるアイドル映画か、
単なる青春ロードムービーかなあ、程度で、
あんまり期待せずに見たら意外な拾い物だった。
そのときの刹那、一瞬しか持続しない爆発的な楽しみや喜び、
どんなに濃密な時間を過ごしても一瞬先はわからない人間関係、
若いときの特権のような理性に抑圧されない自由な時間。
人生の中の刹那的な瞬間の輝きを
モノローグで客観的に切り取って見せられることで、
ある種、デジャヴのような感覚を呼び覚まされた。
若い日にこれと同じ組成、男友達2人に女1人で
何週間か南欧州を旅行したことを懐かしく思い出す。
そして現実にはなかったことや言葉に出さなかったことを補足され、
それによっていまさら現実の体験の外層が固められて、
完全な形として追体験したような感覚。
男2人に女1人ってのは、
ジャームッシュの「Stranger than Paradise」と同じだが、
無機質でクールだったあの映画とは全く違うのは
リアルな感情を言葉に素直に描出していることと
誰にでも思い当たるナイーブさとセックスである。
むしろこれが率直に言えば若い日の実生活に近いわけで、
それがデジャヴのトリガーかも知れない。
これを観る年代、若い日の体験、セックス観や率直さで
この映画に対する感想は極端に分かれることだろう。
当初、なんの魅力もかんじない出っ歯の女性が
急速に存在感を増していくことにちょっと違和感はあるものの、
終わり方が素晴らしく、
切ない想いの残るいい映画だと思う。

「モーターサイクルダイアリーズ」をみた。クラッシュの影響でニカラグアを始めとした南米の政治状況を調べまくった中学時代から
チェ・ゲバラはわたしのアイドルだった。というわけで原作となる
「モーターサイクル南米旅行日記」は前に読んでいた。なぜかロバート・レッドフォードがプロデューサー。監督はセントラル・ステーションのウォルター・サレス。若き日のゲバラを演じたのはアモーレス・ペロスの
ガエル・ガルシア・ベルナルで、とてもハンサムだが線が細く、実際のゲバラのイメージとはちょっとちがうなあ。映画では相方の
アルベルト・グラナードの日記も参考にして構築したそうで、ゲバラの日記で読んでいたイメージよりずっと軟派な印象になった。しかしある意味でこのほうが裕福な坊やの若き日の初めての冒険に信憑性を与えている。それにしてもあくまで生真面目で正直なゲバラはイメージ通りで安心した。こういう不器用なバカ正直な人間には同類として大きな共感を覚える。物語は前半が主にロードムービーの楽しさ、後半がちょっと偽善がかったヒューマニズムというふうに構成される。2時間の中で性格描写や沢山のエピソードを盛り込んで、さらーっと日記をたどるとだいたいこんなものにならざるを得ないのだろう。まあ、日記を実写でわかりやすくたどるには面白かった。そんななかでも南米の景色は圧巻で、とりわけマチュピチュには強く惹きつけられた。スペイン語が話せたらああして南米中を旅することができるなんて素晴らしい。結局、クーデターの頻発、政情不安、貧困、麻薬問題のために南米はまだ混沌としている。見た目からハンデのある日本人が、スペイン語もできず、のこのこ平和ぼけで気軽に出廻るなんてことが無謀なのは自明であり、つくづく残念。いつの日にか最低限のスペイン語を習得して、マチュピチュいってみたい。まずは北アルプスの山登りでもして体力作りから始めるかなあ。あー、先は長い。