このところひとの旅行日記を読んだことで、学生のときにいった旅行のときのことをいろいろ思い出した。ゲバラたちには遠く及ばないが、それでも、いつも乏しい資金を上手に遣り繰りして、不思議に豊かに明るく過ごしていた。
遠い昔、真夏に四国旅行に行ったときの話。電車で徳島県から高知県にはいり、四万十川を眺めながら中村までいき、そこからはひたすらバスの乗り降りを繰り返して土佐清水市、足摺岬をうろついた。雲ひとつない青空で、夏の日差しがことのほか強く、緑の中でセミの声がこれまで聞いたこともないほど大きかった。首都圏育ちの私と友人はバスの車窓から素晴らしい素朴な景色を見るたびいとも簡単に下車して、ぶらぶら歩いた。そしてバス停に再び戻っては後悔したものだ。次のバスがくるまで少なくとも1時間は待つ羽目になった。首都圏では決して体験しない運行状況にそれまで知らなかった日本の側面を知った。知っていたのは小さな首都圏でしか通用しない概念だった。まだまだ知らない日本を知って興奮した。
そんななか、たどり着いた足摺で、どうしてもどうしても泳ぎたくなった。友人は夏の旅行にもかかわらずまぬけにも水着を持っていなかった。私は荷物にならぬよう黒いビキニを一組持ってきていた。せっぱつまったわたしたちは、一生懸命無い知恵を絞った挙句、ひとつの名案を思いついた。まずじゃんけんでビキニの上、下どっちをとるか決めた。水着でカバーできない方を各々下着で代用して、なんの屈託もなく水に飛びこんだ。なんという開放感。難問を解決できたことから充実感さえ感じていた。そして帰りに、実は大人の好奇と驚愕の視線に取り囲まれていることにようやく気付いて、それを、笑い飛ばしたものだ。
今もうできないことを、ある時期試行錯誤することは悪くない。今考えてもあまりの馬鹿馬鹿しさに思い出し笑いがこみ上げる。